ハイレベルなものを健全に作るプロマネのプライド。ソフトウェア開発会社の高専卒社長の半生とは



ハイレベルなものを健全に作るプロマネのプライド。ソフトウェア開発会社の高専卒社長の半生とは
  • 和泉 武志
  • 長岡工業高等専門学校
  • 環境都市工学科 1986年 卒業

受託開発からコンサルティングまで幅広く取り扱う会社、フォーエス

- 現在株式会社フォーエスでは、どんな事業をされているのですか?

今やっているのはSIerですね。受託でソフトウェア開発とかを行っています。あとエンジニアの派遣業務もしています。エンジニアから始めたんですが、現在はSEの派遣も行っている状態です。

- Slerということは、受託開発だけじゃなくてコンサルティングまで幅広く取り扱うという認識で大丈夫ですか?

そうですね。受託開発だけじゃなく、業務支援からコンサルティングまでしていて、総合的にお客様と関わってお仕事をしている状態です。
ほかにも、少し前に、受託開発以外の仕事がしたいな、自分たちでプロダクト作りたいな、って考えていた時期がありました。SaaSで売り上げを上げなきゃ、会社的にも自分的にも良くないなって。そこから自分たちでプロダクトを作ることに力を入れ始めた感じです。でもそこで、ほかの会社のITコンサル的な立ち位置に行かないとダメかなと思ったんです。きちんとプロダクトが作れる状態にしたいから。だからまだ現在はBtoBの受託開発も行っています。

- なるほど。受託開発の範囲って、結構会社によって異なってくるとは思うのですが、どのくらいまでを行っているのですか?

システム側からフロント側まで、まるっと全部やっています。お客様の中にはかなり大手の大規模案件もあるので、本当に幅広くやっています。望まれたものをきちんとお納めして、きちんと使っていただくという形です。
業界あるあるだと思うんですけど、納品しても、正直使われていないモノとかも出てきます。でも私の会社が納めたものは、全部世に出て使っていただけています。そのレベルのものをずっと出し続けることに、全力を注いでいます。

- 素晴らしいですね!

あとこれもあるあるだと思うんですけど、納期に間に合わなくて、納品が半年遅れになるとか。それもないです。全員が正しい形で動けている証拠ですね。
納期を間に合わせるというと、ブラックな働き方をイメージされる方も多いとは思いますが、残業はほとんどなしで、社員の成長につながるように仕事を回せていると自負しています。

- 当たり前のことを、当たり前のように行う。それが一番難しいことですよね。

 

高専を卒業して、夜の世界へ

- ソフトウェアの受託開発をメインで行う会社とのことですが、もともとコンピュータ畑では無かったとお聞きしました。高専ではどのような勉強をされていたのですか?

もともと高専では土木を勉強していました。ほぼテニス漬けの毎日でしたが、テストの点だけは何とかとれて卒業しました。実はわたし、一夜漬けが得意でして。笑

- 土木出身だったんですね!そこからどうやってコンピュータ関係の仕事に行きついたのか気になります。

では高専から編入をしたところから話しましょうか。一夜漬けの力を使って、何とか高専を卒業したわけですが、そこから長岡技科大に編入します。ですが編入後、テニスの大会で優勝して、燃え尽きたんですね。学校へのやる気はなくて、そこからずっとバーテンダーのバイトをしていました。
まぁテストは高専の時と同じように一夜漬けでいけるなと思っていたんですけど、ダメでした。そもそも学校にほとんど行ってなくて、周りの人にも聞けないしという状態で、一夜漬けもくそもありませんよね。笑
最後の方はスナックの雇われ店長として、必死に毎日を生きていました。社会人のなかにいた状態なので、結構刺激も多く楽しかったです。まぁそんなことしてても、大学には全くやる気が出なかったので、ダメですよね。ある日はがきが届いたんですよ。除籍にしますか、それとも退学にしますか?っていう。そこで退学の方に丸をつけて返して、無事退学になりました。

- では学生時代には全くコンピュータの勉強はしていない状態ってことですね。退学後は何をされていたんですか?

そのまま夜のお店で稼いでて、結構儲けてたんでこのままでいいかなとも思ったんですが、そんなに将来続けられるものでもないなと思ってやめました。次の職場として選んだのは、ボーリング場です。

- ボーリングですか!どんどん現在の仕事から遠ざかっているような気が…

まだまだですよ笑
そのボーリング場で半年くらい働いていました。仕事をしていたというより、お客さんの少ない日が多かったので、ボーリングばかりしていました。そのボーリング場の二階に卓球台とビリヤード台があって、そこによくいるおっちゃんにビリヤードを教えてもらってたんです。そしたら楽しくなってきちゃって、ビリヤードにハマってました。
そして当時ビリヤードブームがだったんですよね。お金持ちの紳士淑女の遊びとして。そしたら、この地域で一番うまいビリヤードプレイヤーをインストラクターにしたいという人が、私を選んでくれたんですよ。だからそこからビリヤードのインストラクターになります。

- 相当うまかったんですね!

自分でいうのも何ですが、強かったです。笑
強すぎて新潟に敵がいなくなっちゃったんです。そんな時に東京の方で、全日本チャンピオンがやっているビリヤード場がありまして。そこで住み込みのボーイさんを探しているとのことだったので、じゃあ行っちゃうかって形で東京へ行きました。また夜の世界に逆戻りです。いろんなことがありましたが、ここでは言えないような内容ばかりでした。それが確か23歳のころですかね。
でも25歳くらいのころに、ふと田舎にいる母親のことを考えたんです。こんな夜の仕事に身を置いて、母親は泣いてるいるんじゃないか。人生捨ててるようなもんだなって。ここでビリヤードをやめる決心をします。

お待たせしました。ここからやっとコンピュータのお話が出てきます。笑

コンピュータにかかわり始めたのは25歳の時

- 待ってました!そこで選んだ就職先が、コンピュータ関係だったということですか?

その通りです。まっとうにスーツを着て仕事をしようと思い、25歳でソフトウェア開発をしている会社に就職します。別にコンピュータが好きなわけではないのですが。
その時、23歳の先輩がついてくれたんですけど、その人は高卒で5年間仕事をしている状態で、私は25歳で新入生で。この人に追いつきたい!と思ったんです。でも単純に考えて、私が5年働くころには、その先輩は10年働いているわけです。普通にやっても追いつけない。だから倍以上は働かなきゃと思って、めちゃくちゃ働きました。

- 25歳からプログラミングを始めたわけですね。めちゃくちゃ働いたって、具体的にどのくらいでしたか?

数字でいうと、月に400時間以上働いていました。月曜に出社して、金曜の夜に退社。土日は終電まで働くと、だいたいこのくらいになります。笑
そのくらい働いてると、難しい仕事がもらえるんです。だからそれをこなして、スキルアップするっていうことを繰り返していました。

- 月400時間以上…すごすぎます。

自分のチームが書いたコードのダメなとこを見つけて、徹夜で書き換えたりしていたら、自分のチームだけ優秀なチームになっちゃったこともありました。確認作業も端から端までしていました。こうやって考えると、C言語は好きだったんですね。
フリーランスとして、エージェントから仕事をもらってもいました。会社を興す前の三年間くらいですね。その当時フリーランスってすごく珍しかったんですけどね。

- そこから仲間を集めていって起業をしたといった形でしょうか?

いえ、1人で起業しました。最初はエンジニアとしての仕事をもらっていたのですが、そのうちプロジェクトマネージャーとしてのお仕事ももらえるようになりました。依頼先の50人くらいのチームのマネジメントを任される、みたいな。
そこからプロマネの実力を伸ばして、それが今の会社の実力につながっていますね。

- プロマネの才能があったんですね!

それはどうですかね。実力的に通用するなと思い始めたのは40歳のころで、プロマネをやり始めてから8,9年後くらいですから。
私はもともとコミュニケーションは得意な方ではなかったんですけど、そういう面でもいろいろ鍛えましたね。

- プロマネをしていて、難しいなと思ったことは何でしょう?

モチベーション管理ですね。製品のクオリティを向上させるために一番大事なことは、チームのモチベーションだと思うんですよ。でもそれって人の感情なので、簡単に管理できるものではないですよね。
基本的にプロマネが使える武器って3つで、アサインメント、ミッションの付与、完成形の指示なんです。この3つをいかにうまく使って、モチベーションを生み出すかが難しいですね。

 

自走できる会社を目指す。

- 私が考えていたよりもずっと多くのことがあって、今の会社があると知れました。さらにここから会社の未来について教えていただけますか?

最初の方にも言いましたが、自分たちでプロダクトを作っていける会社にしていきたいです。
前までは、死なない程度には何でもやっていける。といった意識でしたが、会社についてきてくれる人がいたので、会社が子供みたいに思えてきたんです。ここ5年くらいで、じゃあ人生一回しかないんだから、しっかりアクセル踏んでやってやろう!と思いだしました。

- では最後に学生に対してひとことお願いします!

誰でも、まっとうにのめりこめることを見つけて3年頑張ればプロになれます。ぜひそういったことを見つけて、全力で頑張って欲しいと思います。

- ありがとうございました!

執筆:若林拓海(高専マガジン)