打席に立ち続けてインターネットの可能性を無限大に



打席に立ち続けてインターネットの可能性を無限大に
  • 兼城駿一郎
  • 沖縄工業高等専門学校 卒業

略歴
沖縄高専 メディア情報工学科 2011年卒業

沖縄高専 専攻科 情報工学コース 2013年卒業

株式会社リクルートキャリア

株式会社misosil
株式会社 高専キャリア教育研究所

沖縄高専専攻科卒でリクルートに入社し、現在は株式会社misosilや高専キャリアの取締役を務める兼城さん。兼城さんは打席に立ち続けることで、自らのキャリアを切り拓いてきました。そんな兼城さんに今回お話を伺いました。

画面の向こう側、世界が広がっていた

-- 生まれも育ちも沖縄な兼城さん、どのような生い立ちだったのでしょうか?

ゲームばかりしている本当に普通のこどもだったとは思います。しかし、父が会社を経営していた時期もあって、その影響でニュースやビジネス系の番組をよく見ていました。

-- 兼城さんの年代だと、ちょうどこどものころはITバブルの時代...?

その頃は村上ファンドや、楽天、ライブドアなどがニュースを賑わせていましたね。まさにITバブルの真っ只中でした。そのような光景をみて「わ!IT社長ってすごいんだなー!」と小さい頃から思っていました。

小学校にPCが導入され始めた時代でもあります。ペイントで絵を描くのがうまい友達がいたり、ちょっとPCに詳しい先生がいたりして、ますますITへの憧れを強くしていました。

そんな中自宅にもPCがやってきて、夜な夜な親の目を盗んではオンラインゲームにドハマリしていました!

-- え!小学生のころからオンラインゲームですか!笑 すごい...

おじが琉球大学の情報系の学科を卒業していて、色々とPCのことは教えてもらっていました。オンラインゲーム上には、東京や大阪など国内の遠い地域の人だけでなく、世界中の人々がいました。片言の英語で一生懸命パーティーに入れてもらおうと頑張っていました笑

インターネットを使うだけで、こんなにも色々な人と友達になれるのかと衝撃をうけましたね。画面の向こう側にはとてつもなく大きい世界が広がっていました。

小さい頃からPCに興味を持った子って、PCを改造したり自作したりすることが多いと思います。しかしながら、自分は「PCやインターネットでできること」に興味津々でした。そしてこれらで将来仕事ができたら絶対楽しい!と確信するようになりました。

-- そんななか、沖縄高専へ兼城さんは進学します。兼城さんは沖縄高専の3期生にあたり、創設間もない頃だと思うのですが、周りの大人達に反対されませんでしたか?

いや〜されました笑

沖縄であれば、首里高校という進学校に行って、琉球大学へ進み、そして沖縄電力か公務員になることが大道のキャリアだったので。

でも、沖縄高専ならPCが1人1台もらえるというし、情報系を極めることができると聞いていたので、頑張って説得しました。最終的には、ITバブルという社会的背景が背中を押してくれたと思います。「これからは絶対にITの時代だ」と。

試行錯誤の高専時代

-- 大半の高専が設立から50年以上経っていますが、兼城さんが入学した沖縄高専はまだ3年目。どのような雰囲気なのか想像がつきません。

情報系の学科の人々はみんな意識が高かったです。そして先輩たちもかなりバイタリティあふれる感じでした。自分もどんどんチャレンジしていこうとモチベーションが高かったです。そんな中、情報オリンピックに出場しようと決意しました。

-- 結果は...?

学内予選落ちでした!

-- あら〜

絶対行けると思っていたので、初めて挫折感を味わいました。

ただ、落ち込む間もなく次はパソコン甲子園のコンテンツ部門で動画制作に挑みました。プログラミングでダメなら、今度はコンテンツだと。

-- 結果は...?

こちらも予選落ちでした!

-- あら〜...。もし自分が兼城さんの立場だったらだったら落ち込んでしまいそうです。

それが、落ち込むということは無く、むしろ「次は何をやろう?」と考えて続けていました。周りの高専生のやる気に引っ張ってもらった感じがします。そんな高専生活でした。

やっぱりインターネットで世界を広げたい

-- 転機のようなものはあったのですか?

卒研でSNSのようなものを制作していたのですが、学内で使ってもらって、フィードバックをもらって、そして改善して。その開発フローを経験できたことが思い返せばいい経験でした。

-- 普通は企業に就職してから経験するような、広義での「開発」ですね

はい! 技術的なスキルだけではなく、いかにプロダクトを制作していくのかを学べました。

すると、そのような経験をしていたからか、「今度はプロコンのリーダーをやってみない?」と先生に誘われました。ゴリゴリに制作に携わるというよりは、チーム全体のマネジメントをする役目ですね。

-- コンテストにリベンジですね。結果は...?

マイクロソフト企業賞でした!そして翌年には優秀賞を獲ることができました!

-- すごい!ついに努力が報われたんですね

プレイヤーとしては結果が出せなかったけど、ディレクターとしては能力があることに確信を持てた瞬間でした。

そんな中、小さい頃に「IT社長ってすごいんだ!」と憧れていたことを思い出しました。プレイヤーとしてではなくディレクターとして、「インターネットを使って世界を広げたい」と思うようになりました。

そして、起業したい!起業する仲間が欲しい!と強く思うようになりました。

井の中の蛙、大海に出たら楽しすぎて止まれない!

-- 高専専攻科を卒業した兼城さんは、リクルートに新卒として就職します。かなりチャレンジングな選択だと思うのですが、どのような経緯だったのでしょう?

プロコンの全国大会で声をかけてもらったんです。「起業したいならウチに来なよ」と。最初は全然知らない会社だったのですが、あとから調べたらかなり起業する人が多い会社だということを知りました。

本当は最初は東大の大学院に進もうと思っていたんです。「起業する仲間」を見つけるにはやっぱり東大かなと笑。でも、リクルートに声をかけてもらったことで、もっともっと最短経路があることを知りました。

-- 実際、リクルートでの仕事はどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったです!!!!周りのバイタリティも高いし、手を上げれば何でもやらせてもらえる。やりたいことが有りすぎて忙しかったですが、最高の環境でした。

-- 高専から一気にリクルートだと、埋もれてしまって悩むこともあるのでは?

いや、それが逆なんです!

高専時代に身に着けた技術力もそうですし、プロコンのリーダーを努めたからわかるPDCAの回し方や、プレゼンテーションスキルなど、全てにおいて普通の就活をしてきた大学生に圧倒的な差を付けることができました。

高専生って周りが優秀だから「自分なんて...」と卑下してしまうこともありますが、実際に行動をしてきた経験はどんなインプットよりも勝ります。井の中の蛙は大海に出ると自分の実力の無さを知りますが、ちゃんと行動してきた高専生の場合は逆だと思います。

自分の場合も沢山の失敗をしてきて、それでもどんどんチャレンジして、その経験が活きたと思います。

-- そうなれば兼城さんはエンジン全開ですね!

もうやりたいことがありすぎて大変でした!笑 元々の性格でもあるのですが、とにかく面白そうなところに顔を突っ込んで、そして色々なことを経験して、そのような時間を過ごせることを幸せに思っています。

「一旦やってみよう」の精神は高専で教えてもらったことですね。

沖縄でも、東京でも、世界でも、宇宙でも、可能性は無限大

-- 兼城さんは現在は株式会社misosilの取締役を務めたり、高専キャリアの取締役を務めていたりします。

一貫して、「PCとインターネットで何ができるのか」を考えています。

インターネットは情報の格差を解消してくれます。そして好きな場所で働くことを可能にしてくれます。どんな場所にいても一緒に仕事して、一緒にイノベーションを起こしていくことができる。そんなインターネットが大好きです!笑

-- 思い返せば、兼城さんの小学生時代、世界中の人々とオンラインゲームで繋がったところから一貫していますね!

本当にそうだと思います!行動し続けてさえいれば、あとはインターネットを使えば場所に縛られず、可能性を無限大にしてくれます。

-- 常にチャレンジングな姿勢、見習いたいです!

沖縄高専という選択をして本当に良かったと思います。とにかくやってみる、この姿勢は高専が教えてくれた一番大切なことです。

設立して間もない沖縄高専だから極端だったのかもしれません。でも、どの高専でも昔は同じような存在だったはずです。例えば、家族が全く最前線の産業とは無縁に生きていても、高専は15歳にチャレンジする機会を与えて、日本の産業を支える立場になることを可能にしてきました。高専は様々な可能性を広げてきた存在です。

自分もいずれは沖縄に帰って、そのような存在になりたいと思います!

-- 産業が変わって「高専とは?」を考えることが増えてきましたが、確かに高専には昔から変わらずずっとそのようなマインドがありますね!兼城さん、ありがとうございました!

取材・文:鈴木駿太(@ShuntaSuzuki92