インディーズのアーティスト支援
- 現在、藤田さんはどのようなことをされていますか?
エイベックス・エンタテインメントという会社で、まだあまりメジャーではないアーティストの方を支援するプラットフォームの立ち上げから運営をしています。アーティストの方は、一般的にレコード会社と契約を行い、音楽配信をしているんですね。しかし、個人のクリエイター、インディーズのアーティスト、または小さい事務所にいる方は、それが難しい。ですので、彼らの土台となるような気軽に音楽配信可能なプラットフォーム構築を行いました。
- 素敵なサービスですね!いつからやってらっしゃるのですか?
2016年10月に立ち上げが行われました。ですので、次の10月で4年になります。僕は立ち上げのころから参加していました。
- タレントのマネジメントなどもされているのでしょうか?
いえ、そのような機能は入っておらず、基本的にはセルフマネジメントをお願いしています。私たちは、サービスとしてさまざまな機能と環境を提供しています。 その中でも僕らのメーカーの強みは、ウェブ媒体やメディアなどに対して、プロモーションできる機能を持っているところです。企画を開催し、応募していただいた方のチェックさせていただいて、積極的に多くのアーティストを世に出していこうと。このようなことを、定期的に行っています。
- おもしろいですね!今後、どのようにしていきたいと考えていますか?
やはり、少しでも多くの方にこのサービスに触れていただきたいです。 最近は「配信の時代」と言われていますが、実はCD全盛期の収益には届いておりません。ヒットがでればその年代は潤いますが、継続しなければ次のヒットを作り上げなければならないという中々厳しい状況です。トレンドというのは変わりやすく、アンテナをたてて取り入れていかなければ企業として未来がありません。ですので、エイベックス・グループとしては、様々な事業を展開し続けチャレンジをしています。
高専時代にバンドを始め、プロを目指し事務所に所属
- そうなんですね。藤田さんが音楽関係の道にどのように進まれたのかが気になります。高専を選んだきっかけはなんでしたか?
もともとは、進学校に行こうかなと思っていました。父が高専出身だったことで高専を知り、モノづくりが好きだったので、試しにと受けてみたら合格することができました。電子制御工学科を選んだのは、パソコンができるから。当時新設されたばかりの学科でした。
- なるほど。専門の勉強を受けてみて、どうでしたか?
実はあまり出来がよくなく、大変でした。入学した1年目、2年目は、当時塾とかも行っていたので、勉強についていけたんですよ。しかし、3年目から専門が入ってくると、難しすぎてついていけないんですよ。どんどんクラスの順位が下がっていって。この時期に、バンドに手を出してみました。
- 高専時代にバンドを始める方、結構多いですよね。藤田さんが興味を持ったきっかけはありましたか?
寮に入って、寮祭というものであるバンドに出会ったんです。その時、こんなのもあるんだと衝撃を受けて、そこから多くのことが変わってしまいましたね。「ギターってこんなにかっこいいんだ、自分もやってみたい」と強く思うようになり、バンドを始めました。授業をさぼって練習して、学校祭に出たりする中で、新潟市にある事務所に所属し通っていました。テスト前日にライブとかもしていましたね(笑)
- すごい(笑)本格的ですね!当時はプロを目指していたのでしょうか?
はい、本気でやっていました。その分全く勉強ができなくて、そちらは多くの人に怒られましたね。「お前は将来を棒に振るのか」などと言われて。その結果、一般科目が足りず5年生の時に留年しました。当時の1年の差は大きく、一つ下の学年の人と勉強するのは、なかなかなじめず大変でした。
音楽の道を諦めるも、再燃する想い
- 両立はなかなか大変そうです。卒業後は、やはり音楽に関係する道を選ばれましたか?
いいえ。バンドも辞め、地元で就職しました。当時まだ20歳くらいで、それぞれの思想によってトラブルも起こったりしていたので、普通にメーカーで働こうと。学校の推薦で、第一工業製薬という工業系の薬品をつくっている会社を選びました。プラントの機器のメンテナンスや、保全業務を行っていました。
- はじめは、音楽とは関係のない工場で働かれていたのですね。そこには何年程いたのですか?
3年くらいですね。しかし、変わらず音楽への興味はあったので、仕事が終わったあとに趣味として音楽作成ソフトを触っていました。とても楽しくて、だんだんと「こっちの世界に行きたい」と感じるようになりました。もちろん工場での仕事も、配電盤を自分で作ったりすることは楽しくて好きでした。しかし、将来的に自分がここにいるというイメージが付かなかったんですよね。まだ若いし、チャレンジできるものはチャレンジしてみたい。それで、エイベックスアーティストアカデミーという学校に応募してみたところ、審査に受かりました。モノは試しで、だめだったら戻ってこようという思いで上京して通いました。そんな中で、さまざまな出会いがあり、着メロをつくる会社にも就職しました。
- 上京し、学校に通いながら、コンテンツ会社で働いていたのですね。
そうです。会社での業務は、曲を作るのにとてもいいトレーニングになりましたね。一日中ヘッドフォンをして、音を拾いながら、それがどうなっているのかというのを頭でイメージして採譜していました。在籍期間が終わったときに、エイベックスが人員を募集していたので、アルバイトとして入社することになりました。
- 業務の内容的には、以前の会社と似たようなものだったのでしょうか?
そうですね。まさに着メロを外部向けに発注する人員が欲しいとのことでした。内容をわかってないとできなかったので、まさに僕に合致したという感じです。 当時、着メロがブームになってきていたので、売り上げは右肩上がり。もともとは、ユニットを4、5人でやっていたところにいたのですが、人員が増え、僕は社員として登用されることになり、様々な業務及び管理を行う立場となりました。
- なるほど。基本的な流れは、ユニットとして小さな種をまき、事業として成功すれば大きな組織ができていくという感じなんですね。
はい、会社として「まずはやってみて、それでトライアンドエラーで取捨選択していく」という姿勢があります。実際、エラーになっても早い段階で切り変えれば、被害もそんなに大きくありません。それで残ったものを育てていくというやり方にまさに取り組んでいるところです。
分野をまたぐことで高まる希少価値
- いい会社ですね!今は、やりたいことができていますか?
そうですね。音楽配信もでき、内容もすべて理解しており、みんながどんな音楽が好きなのかを知れる。本当におもしろいです。それに加え、収益も上がっており、音楽配信をしたいユーザーさんも増えてきているので、運営側としても喜びでいっぱいですね。
- 素晴らしいですね!高専にいってよかったと思うポイントはどこですか?
エイベックスという会社に入れたことが一番大きかったです。高専のキャリアで入れるような会社ではありませんが、きっかけは高専が与えてくれました。音楽を制作するには、多くの機材やパソコンを操作するので、高専で学んだことも役立っています。 また、エンタメ業界でそのようなスキルをもっている人は多くはないので、多少の希少価値も高かったかもしれません。例えば、スタジオのケーブルをはんだでくっつけたりとか、普通はできません。
失敗を恐れず、チャレンジする姿勢
- 確かにそうですね!また、藤田さんの前向きにチャレンジする姿勢が、キャリアを加速させていったように感じます。
そそうかもしれません。チャレンジするときは、いろいろ言われます。ただ、自分の人生は自分で決めるもの。まずはやってみて、だめだったら、その時に迷惑をかけた方にお詫びをすればいいという考えで進んできました。 高専生も親戚や教授からのバイアスがかかると思います。しかし、世間の人は全く自分のこと考えていない。だから、チャレンジできる環境にあるなら絶対にやった方がいいです。やらないと何も始まりません。
- チャレンジを恐れてしまう気持ちもあると思います。そういうときはどうすればいいでしょうか?
その踏み出しを恐れる理由は何なのかというのをよく考えてほしいです。例えば、就職している会社で全うする予定だとします。しかし、定年まで会社は本当にあるでしょうか?よく考えたら恐れる理由が正しくないかもしれません。正解はだれにもわからないので、自分がやりたいことをやってみる。それが一番、自分の未来が決まる選択肢です。一時期収入が減ったり、迷う時期もあると思いますが、それがあるからこそ上にいける。失敗を失敗と思うか、成功のもとと思うかの違いですね。それを糧にして積み上げていくことが、自分の人生を豊かにするのだと思います。
- その言葉を全国に届けたいです。ありがとうございました!